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2011年4月 6日 (水)

北茨城市平潟町の被災状況

日立にいる両親が祖母の眠るお墓の状況を見に行って来た。
 
茨城県北茨城市平潟町。
そこは祖母が暮らし、父が生まれ育った地。
 
平潟漁港という小さな港のすぐそば。
数百メートルも歩けばそこは福島県。
 
その地も例外ではなく津波の被害を受けていた。
波の高さ推定5メートル。
  
港沿いの近くの家々はほぼ全滅。
かつて祖母の家のあった場所も壊滅的状況。
 
海を臨む高台にある祖母の墓は墓石が倒れていた。
それが地震によるものなのか、津波による衝撃なのかはわからないが。
 
近くに住んでいる知り合いは、地震の直後にはるか先の沖合いまで海の底が見えたという。
これはただ事ではない!と高台まで避難したらしい。
 
その家は防波堤のすぐ近くでありながら高台だったので水は床下で止まったという。
まさに数メートルの差が運命をわけた。
 
そのような話を母から聞いた。
 
あぁ、やっぱりそうだったか。
 
震災の直後にロンブー淳さんという芸人が平潟に救援物質を届けに行った状況がネットに公開されていたのであらかた理解はしていたが、まるで現実感がなかった。
心のどこかでに認めたくない気持ちが存在していた。
 
だがこうして伝えられるとその事実を受け入れるしかない。
それはあまりにも残酷な現実。
 
毎年夏には必ず訪れた祖母の家。
 
玄関前には長い提灯がぶら下がり、御先祖様をお迎えする。
夜になると青い光を放ちながらくるくると静かに回る提灯がそれはそれはきれいで。
 
玄関先では迎え火を焚き、花火をするのが楽しみだった。
 
二重底になっている五衛門風呂におっかなびっくり入り、50度はあろうかという急な階段を上って行く2階のまっくろくろすけが住んでいそうな部屋に寝て。
 
漁港では釣り糸を垂らし、飛び込みしたりボートに乗ったり。
 
祖母にいろいろ買ってもらった港そばの土産物屋。
気さくなおばちゃんがいたこじんまりした定食屋。
 
あの楽しい思い出が詰まった平潟はもうない。
 
ようやく漁港が動き出したと思ったら、今度は放射能汚染で取った魚が食べられない。
 
こんな平潟に、こんな茨城に誰がした。
 
この悲しさを、この怒りを、誰にぶつけたらいいのか。
 
一刻も早く、元の平穏な生活に戻してください。
 
一刻も早く、元の平穏な生活を送らせてください。
 

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